北郷久秀・忠道の墓

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category : きりしまぼんち百科事典, ジャンル, 三股町, 歴史・文化, 歴史・文化 2013.3.26 
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北郷久秀・忠道の墓

五輪塔と呼ばれる石塔の一種で、右側が北郷久秀、左側が弟忠通のお墓です。
遺骨が納められているわけではなく、供養塔です。
凝灰岩で造られており、町内に現存する五輪塔の中では良好な状態にあります。
造立年代は不明です。
大昌寺は、北郷久秀・忠通兄弟の菩提寺で、梶山小学校の北側にある梶山城跡(杉山)の南西麓に所在しましたが、明治時代初めの廃仏毀釈により廃寺となりました。
では、都城島津家(北郷家)三代目当主のお墓が三股町にあるのはなぜでしょうか?
それは、応永元年(1394)に起こった梶山城での合戦(梶山合戦)に起因します。
北郷兄弟が亡くなる2年前の明徳3年(1392)に南北朝の合一は成りましたが、南九州では争乱の火種がくすぶり続けました。南朝に属していた島津家と北朝(九州探題)との抗争は継続しており、その一つが梶山合戦でした。
忠通は応永元年の2月17日に討ち死にし、久秀も同年3月7日に重傷を負い、石に腰掛けたまま絶命しました(当地に腰掛石が伝わっています。)
梶山城で戦死した兄弟の菩提を弔うために、父義久(二代目当主)が大昌寺を建立し、歴代住職に守られた結果、2人のお墓は現代に伝わっているのです。

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所在地 大字長田字中原 大昌寺跡
形式 五輪塔 久秀墓の高さ:130㎝ 忠通墓の高さ:132㎝
指定年月日 平成元年(1989)11月3日

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