乗海寺釈無涯師の墓

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category : きりしまぼんち百科事典, ジャンル, 歴史・文化, 歴史・文化, 都城市 2013.3.24 
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乗海寺釈無涯師の墓

薩摩藩の念仏禁制は戦国時代から明治初めまで300年間にわたり続いた。
江戸末期、本願寺より薩摩藩内の布教を命ぜられた安芸国真徳寺の了随は、乗海寺釈無涯と改名して安政2年(1856年)肥後国より川内に潜入し、布教に活躍した。
しかし、翌春、発覚して追われ、天領(政府直轄領)本庄の宗久寺に隠れたが、捕吏に囲まれ、ついに自害して果てた。
明治20年(1887年)、同師法要のため宗久寺に滞在した真徳寺の尼子善念師が無涯師の姪むこにあたり、その縁によって正定寺の開基住職として迎えられた。
なお、無涯師の墓は宗久寺にあった

住所 宮崎県都城市山田町西栫

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